まもなく17歳になろうという1913年(大正2年)のお正月のことです。初代様は、斎藤主人から、お得意先回りをするように言われました。その当時、10代での得意先回りは歴史的なことでしたが、それだけに同業者の番頭たちからは子ども扱いされて、くやしい思いをすることもたびたびありました。
ある夜、お得意先のお店で、商売がたきの番頭に、
「まだ、晴どんなどが得意回りするのは無理だよ。満州の事情も、北海道の在荷なんかについてもわかるもんか」
と恥をかかされ、その上、初代様がお得意先に話が出来ないようにさせられました。初代様は、とうとう我慢ができなくなり、店を出てから相手を待ち伏せて、さんざんなぐりつけてしまいました。
その翌日、初代様がなぐった相手が、斎藤商店へ来ました。斎藤主人は相手に、「すまない、すまない」とあやまって帰しました。
相手を傷つけてしまったので、初代様は、郷里へ帰されるだろうと覚悟していました。しかし、斎藤主人は少しも怒らず、初代様にこう言いました。
「晴一。人はけんかしてもあとであやまったり、酒でも飲んで仲直りもできるが、しかし、金であいそをつかされたのは、一生取り返しはつかないものだから、それだけは気をつけろよ」
と、たったそれだけでおしまいでした。
初代様は、斎藤主人からの生きた教訓を胸にきざんで、日々の商売にはげみました。その結果、初代様は斎藤商店を切り回すようになり、世間では、斎藤の島田か、島田の斎藤かとまでうわさされるようになりました。
ある夜、お得意先のお店で、商売がたきの番頭に、
「まだ、晴どんなどが得意回りするのは無理だよ。満州の事情も、北海道の在荷なんかについてもわかるもんか」
と恥をかかされ、その上、初代様がお得意先に話が出来ないようにさせられました。初代様は、とうとう我慢ができなくなり、店を出てから相手を待ち伏せて、さんざんなぐりつけてしまいました。
その翌日、初代様がなぐった相手が、斎藤商店へ来ました。斎藤主人は相手に、「すまない、すまない」とあやまって帰しました。
相手を傷つけてしまったので、初代様は、郷里へ帰されるだろうと覚悟していました。しかし、斎藤主人は少しも怒らず、初代様にこう言いました。
「晴一。人はけんかしてもあとであやまったり、酒でも飲んで仲直りもできるが、しかし、金であいそをつかされたのは、一生取り返しはつかないものだから、それだけは気をつけろよ」
と、たったそれだけでおしまいでした。
初代様は、斎藤主人からの生きた教訓を胸にきざんで、日々の商売にはげみました。その結果、初代様は斎藤商店を切り回すようになり、世間では、斎藤の島田か、島田の斎藤かとまでうわさされるようになりました。