戦後に祭りごとを再開しても、1950年(昭和25年)頃までは、初代様は佐賀町時代の信仰仲間だけで祭りごとをしていました。それ以外の人から「仲間に入れて欲しい」といくら頼まれても、祭りごとには参加させませんでした。
しかし、この年の12月に信仰仲間の親戚で、旧家で大農家の長男といとこの精神障害を治したことが評判となって拡がり、その後の集いには多くの人が集まるようになってしまいました。
毎月の祭りごとに来る人たちは、増えるばかりで、たちまち百人以上も来るようになりました。平日でも、初代様の会社の帰りを待って、毎晩七、八人の面会者があったのです。
その頃の警察は、集会の取り締まりに神経をつかっていたものですから、時々近くの警察署から刑事が来て、
「あなたの家では、ときどき寄り合いがあるようですが、何の寄り合いですか?」
と尋ねられました。初代様が、
「私のところは信仰で、毎月十一日には昔から集まることになっているんですよ」
と答えますと、刑事は、
「信仰なら届ければ、今はすぐ認可になりますから届けてくださいよ」
と言いますので、
「そりゃすみません。それでは早速届けますから」
ということになり、それが動機で、宗教法人として認可を受けることとなったのです。正式に宗教法人として認可を受けたのが、1952年(昭和27年)11月でした。
しかし、この年の12月に信仰仲間の親戚で、旧家で大農家の長男といとこの精神障害を治したことが評判となって拡がり、その後の集いには多くの人が集まるようになってしまいました。
毎月の祭りごとに来る人たちは、増えるばかりで、たちまち百人以上も来るようになりました。平日でも、初代様の会社の帰りを待って、毎晩七、八人の面会者があったのです。
その頃の警察は、集会の取り締まりに神経をつかっていたものですから、時々近くの警察署から刑事が来て、
「あなたの家では、ときどき寄り合いがあるようですが、何の寄り合いですか?」
と尋ねられました。初代様が、
「私のところは信仰で、毎月十一日には昔から集まることになっているんですよ」
と答えますと、刑事は、
「信仰なら届ければ、今はすぐ認可になりますから届けてくださいよ」
と言いますので、
「そりゃすみません。それでは早速届けますから」
ということになり、それが動機で、宗教法人として認可を受けることとなったのです。正式に宗教法人として認可を受けたのが、1952年(昭和27年)11月でした。